Blogヒーラー日記

夢うつつ①

2020.06.04

本日もブログを書けました。晩に書くのは、適しているのかもしれない。

昨日は瞑想集中合宿について書きましたが、それ以来、自分のレベルが「1UP!」ぉめでと~o(>∀<*)oといった体感です。 これは瞑想のみならず、料理、カメラ、絵描き、素振り...となんにせよ、そのことに励んだ時間の総量がある一定の臨界点を超えると、物事は上達して、一つ上のステージへと進んでいくものですね。

仕事として精神世界の道に私が入ってから6年となりますが、ここ最近、どんどん“自分の本質”についていろんなことが明白になってくる、いわば気づきのスピードが加速してきたように思います。

先週合宿から帰ってから、いくつかのこと、例えば自分は何をしたくて生きているのかその目的(使命というと大仰なのであえて目的、という言葉にする)などがより明確にわかったきがします。

こうやって書くと偉そうに見えてしまいますが、本当に大仰なことではなく、まあ実にくだらないことです。


そのことはまたそのうち書くとして、いくつかのうちの一つの“自分の本質”について気づいたことが、「夢を異常に見る」ということです。


誇張でも何でもなく、子供のころから、毎朝、必ず夢を6~7つ、覚えているのです。

夢を見ているのは誰でもそうでしょうが、朝起きても6~7つ、覚えてしまっています。

さすがに昼頃になると、50%くらい忘れて、3つくらいしか記憶には残らなくなります。

けっこうこれは危険でもあり楽しくもあり、朝起きてからその夢の感覚に浸り、現実の中にその夢のさまざまな体験を取り込みます。


この、「夢を毎日6~7つ覚えている」とう能力は、自分にとっては当たり前すぎることで、誰に語ることもなかったくらい自然なことなのですが、瞑想合宿から帰って今日ふと、そういえば私って夢異常に覚えているよね、と初めて(?)「顕在意識で」認識しました。

それからいろいろなことが紐解けてきた気がして、思えば私はおそらく、「夢」と「現実」の境界線が、人より曖昧なのでしょう。

子供のころから、人の目を気にしなかったり割と大胆で自由奔放な性質で、「あやなちゃんはネジがどこかぶっ飛んでいる」「壊れている」と評され、

それが原因で一匹オオカミで過ごしていたり、非国民扱いされることもあれば、逆にそれが元で就職の内定をもらったり、その後も不安定でもフリーランスで悠々自適に生きてきたりと、良くも悪くもこの性質は自分そのものなっています。

うすうすと子供の時分から気づいていたのですが、「不安」という概念がおそらくあまりないか相当希薄で、「安定」という概念が広すぎるのだと思います。

真実、お金や仕事がなくとも、命さえあれば、それは私の中で「安定」していることになります。

これ自体は全く良くも悪くもどちらともいえないことです。

たぶん戦国時代なら先鋒体として命惜しまず突撃してしまっていると思うし、魔女狩りの時代なら即日殺されているかもしれません。

あした生きていくお金がないことも20代から何度もありましたが(自営初期のころは特に)、本当の意味での不安にはなり得ず、その状況をほくそ笑んで楽しんでいるような始末です。

笑い話としては、たいてい失恋する時は、向こうからこんな私についていけない、理解できないといって振られることが常套です(笑)


だいぶ長くなってしまいましたが、今日ははじめて「顕在意識で」自分が「夢を毎日異常に覚えているタチ」であるということを認識し(たぶん瞑想合宿効果※アヤナ調べ)、

もしかしたらそれは自分の生き方にものすごく影響を及ぼしているのではないか、ということに気づいた、のです。

「夢」と「現実」の境目が、ものすごく曖昧で、現実も夢のように幻想ととらえて生きているところがある、と。


自分で言うのもなんですが、いわゆる願望実現だとか、「引き寄せの法則」が私が叶いやすいのも、

おそらく「現実を現実と思って生きていない」=「現実のことを夢の延長くらいの夢うつつで生きている」ことにあるんだと思います。


ほんとうに自分は、どうしようもなくくだらない人間で、この現実をまったく気合を入れて生きていないんだと思います。

夢の延長、“今日の8つ目の夢”が始まった~くらいに毎朝捉えて、生活しているのでしょう。

現実生活に本腰が入っていないので、周囲から見たら不謹慎に見られることが実際多いのですが、この生き方は32年間しみついてしまっているので、もう開き直るしかなさそうです。

夢については、まだまだ軽く書きたいことがあったので、また書きます。


夢うつつの小娘の戯言でした。


フォースと共にあらんことを!

*AYANA*