Blogヒーラー日記

「私」は誰?

2021.03.23
3月のサロンAYANA(10~18時)
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みめさまの激カワ写真が毎日どんどん撮れるのに、見るのは私だけ。
このブログにUPしない限りは、私だけしかその写真は見ずに、お蔵入りになってしまう・・・。
みめさまの写真を載せるがためだけにでも、とりあえずブログを更新したいところだ。



このように、ブログはおろか、仕事もほとんど公私混同の日々である。(;^ω^)

仕事に関しては、常に時と場合で、お客さんが友達になったり、友達がお客さんになったり、ということが基本スタイルなので、当方にはあまり「仕事」という概念がない。

その延長線上として、「孤独」という概念も0なのだが、ある意味では100%の「孤独」であるともいえる。

「私」は・・・

リア充なのか、オタクなのか。

プロフェッショナルなのか、ジェネラリストなのか。

スピリチュアリストなのか、リアリストなのか。

いったい当方、いつ寝て、いつ起きているのか。

いつ仕事をして、いつ休んでいるのか。

いつ遊んで、いつ頑張っているのか。

大人なのか、子供なのか。

もっというと実は、女なのか。男なのか。そのどちらでもないのか。

いやむしろ、人間なのか、人間ではないのか。

孤独なのか、孤独は皆無なのか。

すべてそのどちらでもあるし、わからない。

結局、自分は何もないし、何者でもないのではないかな、と考え至った。

私も、これを読んでいるあなたもそうだ。

「固定化された自分」なんてないのが答えだろう。

例えば人は、善にもなるし、悪にもなる。

善人なんていないし、ありえない。

まあ善悪だけでなく、とにかくすべてにおいて、「固定化された自分」なんていないのが真実なのだ。

「自分は〇〇です。」などと言えることなんてありえない。

もし言えたとしたら、それはエゴというものだろう。

「私は孤独だ。」もエゴだし、「私は女だ」とか、「私は妻だ」とか、「私は社会人だ」もすべてエゴだ。

とはいえこの社会を生きる上では、そのような自分を表す状態/肩書き/名詞(時に形容詞も)は必要だし、便利なので、使ってはいくことになる。

しかし、それらはエゴなのだということ、つまり

「固定化された自分」などいない・・・のではないだろうか?ということを念頭に置きながら、使っていくだけにすれば、

きっと、すべての制限から解放されて、楽に生きられるだろう。

それがクリアリング、であり、ヒーリングや瞑想の効能であり、フォースと共に生きる真の自由な生き方なのだと思う。

どんどん制限を外して、「何者でもない自分」を生きていくのが、きっと真の「幸せ」と呼ぶものなのかもしれない。


―フォースと共にあらんことを!