Blogヒーラー日記

映画『ラストエンペラー』の美しさに圧倒

2023.11.07

1987年の映画『ラストエンペラー』を、今更ですが、今日、ようやく観た。

Amazonプライムにもないため、ずっと観る機会を持てずに何年もここまで来てしまった。

今年は坂本龍一さんを偲ぶ意味もあってか、夏にNHKで放送されていたのを録画していたのだ。
(が、3時間近い長編なこともあって数カ月たってしまってやっと今日鑑賞。)

そして

すごく、よかった。

すごおく、

ほんとうに、よかった。

そもそもが私は日本史・世界史問わず歴史好きなので、題材からして好みなのは決定なのですが、それを差し置いてもも全部よかった。

有名すぎるので説明するのも恐縮ですが、ラストエンペラー、つまり、愛新覚羅溥儀の生涯を描いたベルトルッチ監督の作品ですね。

▼当時の予告編をYouTubeより貼っておく。



映像美。
壮大さ。
一人の人間の生涯、その変化。
音楽の美しさ。
激動の時代のドラマ性。

どれも素晴らしいです。

紫禁城でロケをしており、それも観れるので更にイイ。

西太后の後にわずか3歳で清王朝の皇帝についた溥儀。

皆さんご存知の通り、その後は日本軍により満洲国の皇帝に。

時代に翻弄される葛藤が、舞台があまりにも壮大でドラマチックすぎるが為、より物悲しい。

しょっぱなの清王朝の紫禁城のところから、環境が華やかすぎるため、より溥儀の孤独も際立っていて、その危うい虚構さがグッとくる。

溥儀というその人がその時代、時代に常に利用価値を見出され、表舞台に立たされていく、

その様々な葛藤の心理的描写はもちろん、

映像と音楽の美しさがより皇帝その人や作品自体を彩っていて、惹き込まれる。

つまり何が言いたいかと言うと、

エゴってすごいドラマだな。

・・・
ってことです。

「エゴ」とは葛藤であり、「ドラマ」。

そして、危うさ、虚構、価値の有無、悲しさ、アップダウン、祭り上げ、孤独・・・その全部です。

これ(エゴ)が際立つ環境に生まれ育った溥儀というラストエンペラーその人

あまりにもドラマチックすぎるがゆえ、

まるで本当に作り話のお話しのよう。

・・・

だからこそ、

映像美が際立ち、音楽の繊細さも物語性を高める。

ベルトルッチ監督の作品の光が際立っている。えげつないくらい美しくって。

エゴって、ドラマなのですよね。

ほんとうに。

エゴが無かったら、「月9のドラマ」も存在しないし、

あらゆる人気のポップスの歌詞も成り立たないし。

しかしそんな「ドラマ」であるエゴも、

才能ある監督や役者さん達クリエイターに、光を当てられて、「作品」に昇華したら、

ある意味「エゴ」も、光へと「供養=浄化・クリアリング」になるのかなと思う。


だから映画を始め、あらゆるアート「作品」は、

光に通じるものなのだと思います。

本来、質の高いアートは、神(光)につながるもの。

これからも良い映画、絵画、音楽、食器でもいいし和菓子でもいいしetc…よき「作品」をたくさん観ていきたいな~(^^)




May the “けけけ” be with you AYANA(=^・ω・^=)

絵を描くことからスピリチュアル・レッスン

2023.11.06

ふ、ふ~・・・っ。

8月から3カ月間、絵画教室で毎週取り組んでいた模写課題が昨日終わったのだった。

お教室の皆さん、レベルに応じて様々な名画の模写に取り組んでいて、私はルノワールの静物画。

ルノワール「南の果実」

模写作品がコチラ↓

(※写メが暗くて、画面を後から明るくして調整しているので実物とはちょいと異なる)


素人で初心者もイイトコなので、満足の行く出来ではナイ。

満足度を自分で数値化するなら60点か><。

でも、不満足(=発展途上)も含めてのトレーニングと考えたら、これで「完ぺき」なのでしょう、、

こういったことも、全部スピリチュアルの真実と全くの同じですね。

完ぺきでナイということがナイ。

不満足・不足も含めて完ぺき。

神の辞書には完璧しかない。

このように絵画にじっくり取り組むことを始め、生活の中のすべての行為が

スピリチュアルのレッスン(神のまなざしで物事を観ることのレッスン)になる・・・

だから丁寧に生活することがすべて、

スピリチュアルを生きることになる。

本当に、ルノワールの模写、タイムアウトの大詰めでは、焦りに焦り、おいらのエゴがかなりやられて最後の数時間は消耗しました(;^_^A

ほんとうにいい勉強になりました。

エゴがもううるさくて

うるさくて

「こんなんじゃ完成しない」

「もっとここも、あそこも、やらなきゃなのに」

「まだまだ足りない」

「時間内に終わらない、最悪だ」

「私はまだまだだ、自分はダメだ」

「最初からやり直したい」

「いっそもう放り投げてしまいたい」

・・・とまあ、

まあ

まあ

エゴ様はこのようにご健在で、相変わらずの支離滅裂、破滅っぷりです。

エゴとは、不満、不足感、否定感、極端な思考…などその全てですから、ぜんぶそれが出ました(笑)。

エゴがのたうち回って、騒いで、

その証拠に手にも顔にも絵具が付きまくり、

絵筆にも焦りが出まくり!



そして

最後の20分で悟りを開く(笑)


「・・・

今はこのレベルなのだ、それで何の問題があろうか。

これがすべてなのだ。」

「問題はなにもナイ。」



って(笑)。


家に持ち帰ったら、修正しまくりたいと思っていましたが、

エゴの目線を抜けたら、これが完成品と思えるようになりました、アハハ。

と、

そんなわけでこの3ヶ月、じっくりルノワールを見つめて、

ルノワールの才能、偉業を感じるとともに、

おのれのエゴを見つめることもできたスンバラシいチャンスでした。

こうやって生活の中でスピリチュアルレッスンができます。

エゴは常にうるさく頭の中で鳴いていますから。

それを見つめることが、スピリチュアルレッスンです。

趣味でも、家事でも、仕事に従事している時でも、いつもエゴを見抜いていくことで、神の光を感じられる。

それもスンバラシいですね。


May the “けけけ” be with you AYANA(=^・ω・^=)

趣味で忙しい汗

2023.11.03

なんかここのところずっと忙しいのですが、考えてみたら趣味をいろいろ全力でやりすぎているからでした(笑)。

趣味でも何でも、何かを全力で謳歌することは、ヒーリングすること(自他共に)の肥やしになるので、良し!です。

けふは朝クソ忙しい時に、先日植え替えた秋のガーデンマム(菊)とコスモスが、アブラムシにより死滅しかけていたのを発見し、夕方時間が空いたので急ぎ駆除・・・。

瀕死を救えるのだろうか・・・(;´Д`)

&カメムシもたくさん出やがってコンチキショウ、でもだいぶ慣れました。

じっとみていたら、動きがめめちゃん(猫)に似ているなあ等と感じ、すこし大丈夫になりました。

ほんとうの「いのち」(=創造の源)の目線から観たら、アブラムシやカメムシが「嫌」「敵」「怖い」「困る」なんてことはないんですがね、

まあ、そんなことを言っていたら“園芸”が成り立たないので、アブラムシらを嫌がることもご勘弁ください(笑)。

スピリチュアル(または真理とも)のことをいつも書きすぎるのも、読む側も書く側もたぶんつまらなくなります(;^_^A

書きたい気持ちもある反面、ツマンネーな自分、という自分へのダメ出しをしながらいつも書いています。

いつも創造主創造主、ってねえ?

それにこのことは、文章にする事が、非常に、非常に、非常にムズカシイ。

だって目に見えないスピリチュアルのことを、この物質世界の「言葉」に置き換えるなんぞ、なんという荒業・・・

この仕事に携わってから10年になりますが、ものすごく苦肉の策、で、なんとかセッションやセミナーや動画で「言葉」にして喋り、なんとかブログで「言葉」にして書き、となかなかの修行でございます。

さて、そんでもって、忙しいんです・・・

色々やりたいことが多すぎて、アハハ。

例えば、

仕事も改善したいことや事務作業がいっぱいやることやらねえとだろ、
あと和菓子作りも練習しねえと、あでもこれはけふ寒天作りできた。
そんで園芸はけふやっただろ、
エレクトーンも練習しないとだし、
絵はけふはもう描けない、あした絵画教室あるからその時でいいや、
読みたい本も溜まってるし、
観たいNHKの録画も溜まってるし、
っとヨガやれてないや、、云々、、

って感じなのですが、ヒーリングの先生曰く、まだまだ今世は何十年も、なんなら百年近くあるらしいので、こんな感じで問題ないでしょう。

つまり、まだまだ何十年も今世があるので、それを魂的に(潜在的に)知っていて、これだけやりたいことがありまくりでエネルギーが漲っているのだと思います。

一方で恋愛とかは1ミリもしたいと感じません(笑)。

だって戦争なんだもん。

そもそも「相手」を求めている時点で、「個」であるという出発点なので、エゴでしかないです。

もうこの人生で恋愛には興味を今後も持たないと思います。

穏やかなことしか人生ではいらないと感じていて、言い換えれば、

本来、創造主の無条件の愛の中で生きたら、穏やかさ、しか現れないということだと思います。

そこで仮に「恋愛」にみえるかのようなパートナーシップが起きたとしても、そこでのそれは、エゴの恋愛ではないので、もっと様相の異なるパートナーシップであると思います。

そうですね、例えばみみ・めめ(猫)との関係のような、文字通り無条件の(愛の)関係性でしょう。

↑「無条件」な時点で、この三次元で定義する「恋愛」ではないので、矛盾していますが(笑)!

だってこの物質世界の三次元における恋愛やあらゆるパートナーシップは、「条件付け」なのですから・・・




またこのパートナーシップのことについても、書いてみたいです。

「言葉」の文字にすると、非常にこれまた、ムズカシイけれど(;^_^A。



May the “けけけ” be with you AYANA(=^・ω・^=)

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