Blogヒーラー日記

「ただ」歩くという実践

2025.01.07

岡本太郎が「『無目的』的に生きろ」、と言っていた。

何年も前、サーっと本を読んだだけの時は、スルーしてしまっていたけれど
今日は街を歩きながら、&歩く人々を眺めながら、そのことを思い出していました。


年末、瞑想リトリートの時に先生が、
「ただ」歩く、「ただ」見るetc.ことの大切さをお話しされていた。

シータヒーリング®のヴァイアナさんも、「ただ」そうなのよetc…,

この「ただ」という言葉をよく使う。

精神世界(スピリチュアル)の探究の肝となるワードと言えそうです。

さて、
例えば私たちは歩くとき、「ただ」歩いているだろうか。


否。

大抵の場合、「次の何か」に向かって歩いているのだ。
常に「目的」があるのだ。

次の目的ありきで歩いているので、おのずと歩くスピードはゆっくりではなくなるし、体も前傾の姿勢になっている。

前へ、前へ、前へ、前へ・・・
【ここ重要】



「ただ」純粋に歩いている、のではなく、歩くことが手段になり下がっている。
つまり、「今」その瞬間の、歩くことのなかに居ないのだ。


歩く先の目的・目標物に意識をやってしまっているから・・・

常に未来に生きているということになる。


そうして
「次の何か」を生き、
また
「次の何か」を生き、エンドレスにそれを続けて、一日が終わる。

はて、いったい一日の中でどれだけ、「今」に存在していただろうか。
【ここ重要2】


この人たちは、「無目的」である。

「次の何か」のために存在していない。
「今」だけのなかに居る。

まったく、生きることの大先生です。

(あ~っ、岡本太郎美術館の年パス期限ももうすぐ切れるし、近いうちに行っておかないとな…TAROのエッセンスを補充すべし・・)