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Blogヒーラー日記
今週は、一つ確信を得たことがある。
それは、おそらく日々の瞑想の効果によって、「食事がものすごく美味しく感じられるようになった」ということだ。
もともと、自称美食家(笑)だとは自分のことを思っていたが、味がすごくわかるようになってしまったかもしれない。!
(キャーキャーキャー(≧∇≦)!)
これは美味しいもの好きの私にとっては非常にセンセーショナルな出来事であり、事件、いや、現象だ。・・・!
とにかく、もう、「ご飯が美味しくてたまらない」のだ。
もっとも、美味しいものが、美味しく感じられるというだけで、すべての食品が悶絶ものに美味しいということではない。
ことの変化に気づいたのは、先日の水曜日。
いつもヒーリングを利用してくれている近所在住の同世代の美女と、ヒーリングレッスン後に中華のコースを食べた時のこと。
サロンからすぐの中華で、いつも生徒さんやみんなを連れていくお気に入りの美味しい中華なのだが(つまり常からもともと美味しいということ)、
この日はすべての品が、「やけに美味しく感じる」。
あまりにも私が、「美味しい・・・美味しい・・・」というものだから、その美女の生徒さんも「本当においしいですね・・・」と、ふたりで美味しさを噛みしめてしばし黙りこくってしまったような気もする。
言葉で表すと、それは「多幸感」そのもので、本当に美味しくて今この瞬間幸せだ・・・と思った。
それでこの変化の現象が確信に変わったのは昨夜だ。
これもいつも行きつけの、神楽坂にあるリストランテ(イタリアン)なのだが、そこでも出された一品一品が、「いやに美味しく感じられて」ならない。
もちろんオーナーシェフのYさんの料理の腕前が一流なのは常のことなのであるが、それにしても、ここでもコースの一品一品の素晴らしさに多幸感が押し寄せてきて、私は内心、「恐れ入りました。」と首を垂れる気持ちであった。
一緒に食事をしていた人生経験の豊富な大人にそのことを打ち明けると、
「それってまさに瞑想の効果なんじゃないの」と、コメントをくれた。
彼は続けて言った、
「瞑想とは、おそらく、無駄なもの(ノイズ)を排除する効果があるのだろう。
だから、美味しいものが真実美味しく感じられるのでは」。
私も全く、この意見に賛同する。
おそらく、瞑想は、雑念やノイズをクリアにし、本来の人間の持つ感性を蘇らせる、かような効能があるのだ。
実はその例でいうと、私が最近「わかるようになった」のは、食事だけではない。
こんな言い方をすると人様にはおこがましく受け取られてしまうかもしれないが、「芸術」の分野においても、私は以前より「わかるように」なってきたのである。
2ヵ月前にブログでも書いた、生徒さんたちとの箱根旅行。
この時に訪れたポーラ美術館でも、私はモネやマティスといった印象派画家たちの作品を前に、感嘆の念とともに文字通り「わが身を捉えられて」しまった。
じっと、見入ってしまい、感じるものがそれぞれの絵画にあったのだ。
絵そのものに、ものすごいパワーを感じるのである。
こうなると、もはや音声解説など邪魔そのもので、とにかく「自分の感性で、その絵を、感じさせてほしい」ものだ。(むろん、音声ガイダンスは購入していない。)
大げさな物言いであるが、例えば芸術に恋に落ちてしまったような感覚で、また私は「絵に会いたくてたまらない」のだ。
いっそ、拙いものであったとしても、もはや自分で創作をしてしまおうか。
感性が極まって、ある意味思い詰めている。(;^ω^)(;’∀’)(;^_^A
昨夜のイタリアンがあまりにも極めつけに美味しかったので、嬉しさのあまり、このことを書き記しておきたい、とけふは思った( ..)φメモメモ
瞑想は、それ自体はただの行為にすぎない。
でも、瞑想をすることによって、普段の生活や仕事のすべてが色づく、という素晴らしき効果を持っている。
ご飯が美味しくなるだけで、生活の幸福度は格段にアップしますよね。
また、書かせてください。
そして瞑想に興味がある方は、ぜひその門を叩いてみてください。きっとめくるめく煌めきの世界がそこにはあります。
―フォースと共にあらんことを!
*AYANA*