Blogヒーラー日記

「頑張らなければ認められない」という潜在意識

2020.11.08

昨晩、久々に自分自身にヒーリングをした。
うちのヒーリングセッションでもメインで行っている、「ネガティブな思考の解放」のヒーリングだ。

私はどうやら、自分の中にとてつもない「罪悪感」「自己嫌悪」を溜めていて、そろそろこれは手放したほうがいいんじゃないだろうか、と思うに至ったからだ。

昨夜ヒーリングセッションを自分にする前に、まずは瞑想をしていたのだが、
その時にものすごく「自分が嫌いだ・・・」「失望している・・・」という声が内側から湧き上がってくるのを感じた。

この「内なる声」は、巷で皆が「潜在意識」と呼んでいるもの。または、「インナーチャイルド」、なんていう風にも言う。

一体自分の中の「自分が嫌いで、失望している」という声はどのようなことなのか感じてみた。

まあ、感じるまでもなく、“チリツモ”で、日々の小さなこと、
例えば朝起きられないとか、今日もブログを書けなかったとか、おやつをたくさん食べてしまったとか・・・
そういう小さな一つ一つに、「自分ってダメだな」という想いを募らせていて、募らせているのに、やりすごしている。

それが子供のころから相当量溜まっており、私の内なる子供がスクリームしているのを気づいた。

塵も積もれば山となる、で、自分への罪悪感や不甲斐ない思いが相当量、溜まっていたようだ。

ここでやっかいなのが、私自身の別の側面として持ち合わせている「けっこう自分に自信がある」という面だ。
変な言い方だが、私は子供のころからわりと何でも“できてしまって”、何でも少しの努力で割といい結果を残すこともできてきた。
自分の能力をわかっていて、気に入っている。そんな側面があるのも真実なのである。

だからこそ、小さな一つのことにできなかった罪悪感、があっても、スルーしてある程度の結果を“もちまえの能力で”出すことが出来る。
これが「トラップ」となり、罪悪感や自己嫌悪といった感情をスルーしてきてしまった原因だ。

瞑想的に生きていると、このような自分が潜在的に蓄積しているネガティブな感情がどんどん浮上してくる。
瞑想、とは、すなわち自分を内観することでもあるので、おのずと自分の中の見たくない部分に気づいてしまう。
これが本当に苦しい部分でもあり、もちろんうまく解放できれば、素晴らしいギフトにもなる。

瞑想の先生が、以前私に言ったっけ。
「瞑想をすると、人生がロケットに乗ったように展開する。でもそうなる過程として、苦しみもある」
というようなことを。

話が瞑想のことに逸れてしまったが、とにかく、浮上してきたネガティブな感情は、自分自身のために、解放してやらなければならない。

ここで、ヒーラー、ヒーリングセッションの出番である!

普段なら友人のヒーラーにセッションをお願いしたいところなのだが、深夜ということもあったので、この湧いてきた「自己嫌悪感」と向き合うのに、自分で挑むことにした。
普段クライアントにするように、ユニバースからのインスピレーションも借りて、自分の内側を探索する。
「私はなぜ、よく自己嫌悪を感じてしまうのだろう」
「なぜ、ここまで罪悪感を溜めてしまったのだろう」
「これは、いつから始まって、癖になっているのだろう」

すると、幼少期のビジョンが思い浮かんだ。
いまでも習っている、エレクトーンのレッスンの風景である。
「ああ」と自分ですぐに直感がいった。
この時、エレクトーンの上達を母親から期待されていて、なかなかスパルタの先生についていたのである。

その時の「小さなアヤナ」に想いをはせてみた。
「うまく練習できてなくて、申し訳ない。私は本当にダメだ・・・」
おまけに、語尾に、「orz」が付いているようなニュアンスだった(笑)
「存在しているのも申し訳ない。できるだけ、頑張ってみますので><」とも思っていた。今思うとかわいらしいが、7、8歳の子にかわいそうである。

どうやら、ここが、2020年の大人の今でも引きずってしまっている、「できない自分への罪悪感・自己嫌悪」の原因らしい。

私はその場面、その時の自分にヒーリングを送った。
「頑張ることで、存在を認められる」
これはつまり、
「頑張らなければ、認められない」
ということだ。
これは、私だけでなく、日本人、もしかしたら多くの人が、持っていそうな潜在的な思考であるように感じる。

現に、少しリーディングを進めてみると、この制限のある思考は、私の先祖、つまり遺伝的に代々受け継いてきた思考のように観えた。

・・・結果、どうであろう?

今日は、毎朝罪悪感を感じていた「寝坊」をしませんでした。
誇らしく、清々しい気持ち。

あんなに起きられないで、罪悪感を感じていたのに。

ヒーリングって、やっぱり魔法ですね。