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Blogヒーラー日記
創造主(神、愛)の目線でいたい。
常にそのことを祈り続ける(=コミットメント)していないと、すぐにまた、苦しみの世界(エゴ、深い眠りの夢の中)へ。
ブッダが、「人生は苦だ」と言った通り、である。
週末、ついその前日まで会っていた人、が、とても受け入れ難い形で亡くなった。
何をしてもそのことが、頭から、離れない。
毎日、夢に見てしまう。
。。
私はその人と知り合ったのは、こちらに戻ってきてからなので数ヶ月のお付き合いではあったけれど、
立場や状況が似ている所のある人だったので、シンパシーを感じていた。
(その人自身も、私と初めて会った時に、同じように感じたと、仰せであった。つまり、その人も自分で商売をしている方なのである。)
そのような人の死は、とてもショッキングであり、文字通り「フリーズ」してしまい、その中で数日を過ごして、今日、である。
ただその人のことを、ほんとうに、創造主の光のまなざしで、みることさえできれば、いいのだけれど
・・・その人にとっても、関係する皆にとっても、私にとっても、それだけが本当にすべきことで、それだけが救いで、本当の癒しで、それしかない
・・のだけど
「のだけど」?
!
「だけど」、と、納得がいってないのが、私の、エゴ、つまりドラマの中のアヤナという人である。
納得していないんだな。
あたりまえだ、だって、エゴとは、不満であり、苦しみであり、破綻であるのだから・・・。
(そしてその御方も、エゴにより、亡くなってしまった。
エゴだけが、死、という結果に、なりうるのだから・・・・・・。)
私は、泣き言、
ぐだぐだ、言いたいのである。
悲しみたいのである。
憤りもあるのである。
なんでこんなことになってしまう必要があったのか・・・!
このことを、超えていかねばならない。
神様からの宿題だ。
そしてこのことは
「エゴ」では超えられない。
創造主の目で本当に見ることでしか、超えられない。
そしてそれは言い換えれば、本当の意味でその人を愛して、祝福することなのだ・・・。
その人にも本当の意味で、最大の敬意を払っていたいので
コミットメントします。
光の目で見ることを。
その人を嘆き悲しむことは、実は、その人を弱くみている(エゴの目線だとこうなってしまう)ことであり、敬意ではない。
神の光の、愛の目線だけが私たちが払える唯一の敬意で、
癒し・・・。
嘆き悲しむべきことや、弱いもの、など何一つ本当はないはずなのだから
そのようにいつも感じていたいです。