Blogヒーラー日記

朝、3分のお祈り

2026.02.23

先週のある一日の朝、姪っ子の保育園の送りを手伝う関係で、瞑想の時間がうまく取れませんでした。

瞑想は、歯磨きやメイク落とし、お風呂なんかと同じ日常のものなので、「たった一日」できないだけで、何かとんでもない困ったことが起こる…というような劇的なことはありません。

歯磨きやメイク落とし、お風呂と同じで、「なんとなく気持ち悪い」。
でも、「不具合が起こる」ほどでもない。
1日の単位での効果の実感(?)は、そのようなものです。



その日はそのあと、いつも通っている紅茶カフェで、紅茶教室があったので参加したのですが、そこでやたらとペラペラ饒舌な私・・・。

私の気質としても、おしゃべりな性格といえばそうなので、いっけん通常運転なのですが、どうもふわふわ浮いたような感じのおしゃべりが続くのです。

「あー、今朝瞑想してないからだ」

と、お昼に会が終わってゆっくりした時に、気づきました。

朝しっかり祈ったり瞑想するなどして、神様とともに今日も一日過ごしたい(=エゴのものの見方では過ごしたくない)、という心を決めていなかったから、地に足がついていなくて(=エゴ・モード)、浮遊感があったのです。

浮遊感があると、ふわふわ、ペラペラお喋り(これは私の場合に特にある表れ方かもしれませんが)になってしまいます。

人によっては、地に足のついていない浮遊感(エゴ・モード)により、

なんだか多く買い物をしてしまったり、あるいはなんだか多くスマホをいじってしまったり、何かを安請け合いしてしまったり、すぐに何かに乗っかろうとしてしまったり…という表れ方になるかもしれません。

「一日瞑想しなかったおかげで、瞑想の必要性がわかった♡」

なんていう陽気な解釈をするような性格ではない、ひねくれ者の私ですが、
この一日のフワフワしたちょっと不快な感じは、もう御免だなあ。
じゅうぶんに、ノーサンキュー、だと思えました。

ここでいう瞑想というのはつまり、文中にも記した、「朝、神様と今日も共に過ごしたい」と決意を新たにすること。
瞑想、ではなく人によってはお祈り、というとらえ方でもいいかもしれません。

私は十分に時間をとってすることが好きなのと、職業柄それがゆるされているので、朝に長時間そのための時間を取りますが、
みなさんも、毎朝「3分」でも、じゅうぶんに素晴らしいと思います。

まずは3分あれば、今日一日、不快感を感じるエゴ・モードでは生きたくないこと、そして神と共に(=シータ波のような落ち着いた静かな心で)生きたいことを、心に決めることが出来ます。

(私も保育園送りがあっても3分やればよかったのですネ…。)

明日の朝も、それぞれの場所で、お祈りをしたいですね☺