意識の目覚めを促すスピリチュアル「ヒーリングセッション」。宇宙創造主とつながり本当の自分を思い出す瞑想テクニック「シータヒーリング(R)セミナー」を開講中。オンラインで全国・世界各国から受講可能です。
今朝は定期開催しているオンライン瞑想会。大雨も去り、気持ちの良い朝日の中で、集って皆で瞑想をするのは清々しいですね。
ゴールデンウイークあたり、サロンで少人数制で、集中瞑想会(プチ・リトリート)でも催そうかな。
瞑想アチューンメントを受けられて、生活の中で瞑想を実践している初級~中級者向けに開催してみようかと思います!興味のある方は、事前にアチューンメントを受けておいてください(^o^)
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春だ、といものもちろん大いに100%あるけれども、ここのところエネルギーが軽くなったのを感じませんか。
なんのエネルギー?と問われると、エネルギーはエネルギーでしかないので、“すべて”が、なのですが、わかり易くいうならば、「地球のエネルギー」とか「生活のなかのエネルギー」とか「社会のエネルギー」です。
なぜそう思うかって、最近私自身がまた一つ何かが抜けたような、何か憑き物がまた一つ取れたようなといいましょうか、同じ生活を生きているはずなのに、“見える景色”が今までと少し変わったように感じるからです。
これは何も私アヤナ自身が変わったわけではないんです。
私が何か努力したからとか、意識が高くなったからとか、私自身に憑いている何かを浄化したからとか、だから変わったんじゃないんです。
別に私は何もしていなくて、相変わらず怠けた私のままなんですね。自分の決めたことなんか何一つできていない、私のままです。
私が変わる、なんてエゴの極みですし、不可能だとも思うのです。変わりゆくのは常に、フォースだけ。
強いていうなれば、その変わりゆくフォースを感じ、その流れにゆだねることで、“私という個も、変わったふうに結果なる”、ことはあるかもしれません。
でも、私から変わる、なんていうことはできない。私は幻想だし、変わろうと思っているその思考(エゴ)こそ幻想だから。
じゃなくて、単純に、取り巻くエネルギーそのものの性質が軽くなった感じがしますね。
スピリチュアル風に言うと、フォースの風向きが変わったように感じるし、
社会的に言うと、情勢が変わったように感じる。そんな具合です。
ほら、例でいうと、地震が起きる前って動物は何か異変を感じて行動を変えたりしますよね。
何か流れている気運、エネルギーの性質が変わりますよね。そんな感じ。
エネルギーが変わるから、例えば雲の形が変わったりもしますよね。
で、その時に動物は逃げたり、吠えたりするかもしれないし、人間でも敏感な人は雲の変化に気づいたりしますよね。
(ここでも、動物自身が変わったわけではなくて、エネルギーが変わったことを動物は受けて、行動しているだけですよね。そう、いつもこうやって、エネルギーありき。動物が変わったわけではないし、変われない。変わるのはエネルギーだけ。動物はそれを受けて、変わったように結果なってるだけ。)
今もそんなエネルギーの変化をこのところ・・・特に三月に入ってから感じますね。
これからどんどん私たちを取り巻く状況が変わっていくんでしょうね!
なんだか、わけのわからない文章になってしまってすみません。言葉にできないことがたくさんあって、それに葛藤してこの現実世界を生きている、「私」です。
とにかく、常にフォースの流れを感じて、その変化を受け入れて、流れに乗ってやっていきましょう(^o^)
動物さんはいつも、ただただフォースに身をゆだね、一切の抵抗をせず、美しいです。
―フォースと共にあらんことを!
えー!しんじらんない。4日もブログ書いてなかったわけ?
私4日間何して生きてたんだろ?
あ、でもこの4日間、けっこうサロン忙しかったんだ。
春になったからか、リモートよりご来店のセッションやスクールのご予約の割合が増えた。
緊急事態宣言延びたから、リモートのセッションが引き続き需要多めのままかしらん、と思ったけど、あまり関係なく、来店の方が増えだしたニャ。
春めいて来たもんね!!お体も心も、外に出たくなるよね。
サロン近所の公園も、梅も、桃も、桜も、咲いていて最高な感じ。
けふは私は一日休んで、朝は友達の魔法のボディ施術を受けた@富ヶ谷。
彼女は体に触れればその人の不調ヶ所や記憶が何でもわかるので、その辺の整体に行くよりも完璧に体を治してくれる。
治してくれるという以上で、正しい体の状態にリメイクしてくれる。
最近ランを“再開”(実は、10年前にフルマラソン出場経験あり)して、久々でひざを悪くしてしまったので、けふはそれも調整してもらった。
ランは、瞑想に非常に似ているので、当方にとっては心地よく、また、瞑想の効果を底上げするのにもおそらくきっと役立つ習慣になりそうだ。
走りこんで、瞑想との相乗効果や、心理的な変化が表れてくるのかどうか、ブログでも報告していきたいと思う。
ランは自分と向き合うことになるし、メンタルの状態も大いに変わってきそうで楽しみです。
また、ランナーでもある村上春樹が書いたエッセイ『走ることについて語るときに僕の語ること』も併せて最近読んだのですが、とても面白かった。
村上春樹は、小説家としての体力/メンタルの維持に、日々のランが一役買っていると言っていた。
何かの道で、継続して表現し続けようと思ったのならば、そのための基礎体力(文字通りの体力と、あとは精神面の体力も)があることが必要不可欠なんだろう。
世界的な作家としてずっと第一線を活躍している村上春樹、“長距離ランナー”、ですよね。
村上春樹は33歳で、ランを始めたって言ってた。
当方も齢33のいま、ランを再開するにはちょうどよい節目なのかもしれない。
精神世界のこの道で、継続して自分を表現し続けて生きたいもの。
お客さんにも生徒さんとも、も~~っと宇宙の美しい真理を伝えていきたいし、そもそも自分自身がもっとわかっていきたい。
仕事とかお金、成功、恋愛etc.はあまり興味がないのだが、宇宙の真理とともに生きたい、道を探求したいという情熱の炎は、今後も変わることがないだろう。
宇宙とともにあるために、そしてそれに気づくために、生まれてきたのだから。
ご本尊・めめ様に祈願し、ランによるメンタル強化も期待し、けふもワタクシは・・・
合言葉、↓
―フォースと共にあらんことを!
そんなに頻繁に更新しているわけでもないくせにこんなこと言うのもおかしいのですが、ブログを書くのって結構好きだな。
さて、なにを書こうっとその前に、今さっき、スターウォーズの新作ドラマ「マンダロリアン」のシーズン1を観終えた。
ベビーヨーダかわえええ
スターウォーズ好きにも、かなり評価されているらしいこの新作シリーズ。
確かに、ここ最近の本編エピソード7.8.9より面白いのかもね。
(かも、というのは、そんな気もするがまだシーズン1までしか見ていないので言及できない)
それに、本編とまったく関係のないストーリーだから、スターウォーズ関係を初めて見る人たちもイケる。
なによりベビーヨーダが、かわいいし、夢があるなあ。
ベビーヨーダは、生来より備わったフォースがものすごく強く、周囲の人々はベビーヨーダを愛でながらも持て余し、恐れている。
一体、どう扱ってやったらよいものなのか・・・。
イメージは、まだ社会の常識とか、知識がわからない幼児が、ものすごいサイキックパワーを持っているようなものだ。
社会のマナーや常識、規範といったものを備えていないと、いろんなことにサイキック能力を悪気なく使ってしまう。
この辺のことも、このシーズン1では、チラッと描かれていて、ヒーリングの教師としてはなかなか面白かった。
例えば、仲間同士が「腕相撲」をしているシーンがあったのだが、これが、ガチのバトルだと思ってしまい、腕相撲で負けそうになっている人を助けようと、、腕相撲が強いやつの首を、フォースの念力で絞めて、殺そうするシーンがあった。
ベビーヨーダちゃんは、腕相撲で負けそうになっていた人のことを、パパと思っていて、好きだから、加勢しちゃったのだけれども。
赤ちゃんだから(;^ω^)
これと似た話は、前回の記事でも書いた「スピリチュアル・リーディング」においても同じことが言える。
大前提として、ベビーヨーダもだし人間の子供も、動物さんもだが、
「子供」や「動物」のようにピュアすぎる存在は、そのピュアな存在からして、サイキック能力は100%全開だ。
これはすべての子供も動物もそう!(自我が芽生えて、思考の制限が入ってきていない前提の話)
でも、上述のとおり、子供はいくらサイキック100%つまりフォース全開であったとしても、社会の知識とかルールといったものは知らない。
だから、例えば、
「お母さんにお化けが付いている」という現象があり、それを彼らの持ち前のサイキックパワーで感知することはできるのだが、
“お化け”とう存在があるという知識がないと、それを伝えることはできない。
「お母さんに何かが付いている。なんかいやなもの」くらいまでしか、せいぜい表現はできない。
また別の例で、
「Aさんの前世の一つである古代ローマ時代の軍人」が見えたとしても、
“古代ローマ”とか“軍人”というものを知らないと、
「なにか今のAさんと違う姿の男の人が、戦っている」とか。内容の詳細を伝えることは難しい。
要は、社会の中で、サイキックパワーを使っていくためには、知識がなくてはダメなのだ。
社会の中でフォースを使って何かを表現したい、と思ったときには、それを表現するための経験や、知識が必要。
経験や、知識を得るためには、(一般論として)大人であればあるほど良い。
でないと、感じたものをうまく伝えることもできないし(スピリチュアルリーディング)、
また、腕相撲がガチだと思って相手を殺そうとエネルギーを発動させちゃうし(スピリチュアルヒーリング)、
ただサイキックで、フォースとつながってりゃいいってもんでも、ないよな、“社会で生きるならば”。
(ベビーヨーダはオッケー、社会で生きてないから。赤ちゃんだし、それに辺境の惑星だし!)
って書いていると整理されてくるからやっぱり書くことって好き(冒頭の、ブログ書くのって結構好き、に戻る笑)。
「社会=大人であることを求める仕組み」なんだなー。って、いま書いていて思った。
私、けふはこれが書きたかったんだ。
「社会=大人」であること。
社会で生きていくためには、大人でなくちゃ、いけないんだな。
まあそんなのはいまさら、あたりまえかもしれないんだけれど、問題は、その「大人」たるものが、どんな「大人」なのか、ってことがもっと言いたいところ。
一般的に大人って、知識やルール、常識が付きすぎてしまって、子供の枠にとらわれない自由な豊かさを欠いていることが多い。
一般的に、たいてい、そうだ。
ということは、社会の中で生きて、「大人」でありながらも、子供らしさを失わずにいるためには、やはり「努力」が必要なんだろうな。
っていうのがけふ一番自分に書きたかったことだな。
長くなったし、雑記って感じになってきたから、終わりにしよう。
とにかく、子供の心を失わないためには、そして、フォースと繋がっているためには、やっぱり瞑想しかないな。しかないわけではないが、たぶん一番の基本の「道」だろう。
やっぱりいつだってそこに行きつくんだ。
今月は瞑想月間(まあ、いつもだけど・・・)。
大人でありながら、究極に、子供のようなピュアな存在でありたいものだ。
そう、合言葉は、
―フォースと共にあらんことを!