Blogヒーラー日記

子供とサイキックパワー、大人と常識

2021.03.06
3月のサロンAYANA(10~18時)
ご来店・リモート、お好きな方を選んでご予約くださいね。空きがあれば当日予約も可能です。
⇒【オンライン予約サイト】

そんなに頻繁に更新しているわけでもないくせにこんなこと言うのもおかしいのですが、ブログを書くのって結構好きだな。

さて、なにを書こうっとその前に、今さっき、スターウォーズの新作ドラマ「マンダロリアン」のシーズン1を観終えた。

ベビーヨーダかわえええ

スターウォーズ好きにも、かなり評価されているらしいこの新作シリーズ。

確かに、ここ最近の本編エピソード7.8.9より面白いのかもね。
(かも、というのは、そんな気もするがまだシーズン1までしか見ていないので言及できない)

それに、本編とまったく関係のないストーリーだから、スターウォーズ関係を初めて見る人たちもイケる。

なによりベビーヨーダが、かわいいし、夢があるなあ。

ベビーヨーダは、生来より備わったフォースがものすごく強く、周囲の人々はベビーヨーダを愛でながらも持て余し、恐れている。

一体、どう扱ってやったらよいものなのか・・・。

イメージは、まだ社会の常識とか、知識がわからない幼児が、ものすごいサイキックパワーを持っているようなものだ。

社会のマナーや常識、規範といったものを備えていないと、いろんなことにサイキック能力を悪気なく使ってしまう。

この辺のことも、このシーズン1では、チラッと描かれていて、ヒーリングの教師としてはなかなか面白かった。

例えば、仲間同士が「腕相撲」をしているシーンがあったのだが、これが、ガチのバトルだと思ってしまい、腕相撲で負けそうになっている人を助けようと、、腕相撲が強いやつの首を、フォースの念力で絞めて、殺そうするシーンがあった。

ベビーヨーダちゃんは、腕相撲で負けそうになっていた人のことを、パパと思っていて、好きだから、加勢しちゃったのだけれども。

赤ちゃんだから(;^ω^)

これと似た話は、前回の記事でも書いた「スピリチュアル・リーディング」においても同じことが言える。

大前提として、ベビーヨーダもだし人間の子供も、動物さんもだが、

「子供」や「動物」のようにピュアすぎる存在は、そのピュアな存在からして、サイキック能力は100%全開だ。

これはすべての子供も動物もそう!(自我が芽生えて、思考の制限が入ってきていない前提の話)

でも、上述のとおり、子供はいくらサイキック100%つまりフォース全開であったとしても、社会の知識とかルールといったものは知らない。

だから、例えば、

「お母さんにお化けが付いている」という現象があり、それを彼らの持ち前のサイキックパワーで感知することはできるのだが、

“お化け”とう存在があるという知識がないと、それを伝えることはできない。

「お母さんに何かが付いている。なんかいやなもの」くらいまでしか、せいぜい表現はできない。

また別の例で、

「Aさんの前世の一つである古代ローマ時代の軍人」が見えたとしても、

“古代ローマ”とか“軍人”というものを知らないと、

「なにか今のAさんと違う姿の男の人が、戦っている」とか。内容の詳細を伝えることは難しい。

要は、社会の中で、サイキックパワーを使っていくためには、知識がなくてはダメなのだ。

社会の中でフォースを使って何かを表現したい、と思ったときには、それを表現するための経験や、知識が必要。

経験や、知識を得るためには、(一般論として)大人であればあるほど良い。

でないと、感じたものをうまく伝えることもできないし(スピリチュアルリーディング)、

また、腕相撲がガチだと思って相手を殺そうとエネルギーを発動させちゃうし(スピリチュアルヒーリング)、

ただサイキックで、フォースとつながってりゃいいってもんでも、ないよな、“社会で生きるならば”。

(ベビーヨーダはオッケー、社会で生きてないから。赤ちゃんだし、それに辺境の惑星だし!)

って書いていると整理されてくるからやっぱり書くことって好き(冒頭の、ブログ書くのって結構好き、に戻る笑)。

「社会=大人であることを求める仕組み」なんだなー。って、いま書いていて思った。

私、けふはこれが書きたかったんだ。

「社会=大人」であること。

社会で生きていくためには、大人でなくちゃ、いけないんだな。

まあそんなのはいまさら、あたりまえかもしれないんだけれど、問題は、その「大人」たるものが、どんな「大人」なのか、ってことがもっと言いたいところ。

一般的に大人って、知識やルール、常識が付きすぎてしまって、子供の枠にとらわれない自由な豊かさを欠いていることが多い。

一般的に、たいてい、そうだ。

ということは、社会の中で生きて、「大人」でありながらも、子供らしさを失わずにいるためには、やはり「努力」が必要なんだろうな。

っていうのがけふ一番自分に書きたかったことだな。

長くなったし、雑記って感じになってきたから、終わりにしよう。

とにかく、子供の心を失わないためには、そして、フォースと繋がっているためには、やっぱり瞑想しかないな。しかないわけではないが、たぶん一番の基本の「道」だろう。

やっぱりいつだってそこに行きつくんだ。

今月は瞑想月間(まあ、いつもだけど・・・)。

大人でありながら、究極に、子供のようなピュアな存在でありたいものだ。

そう、合言葉は、


―フォースと共にあらんことを!