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Blogヒーラー日記
前回の続きです。
気丈で賢く、先進的な考えをいつも持っていて、自立した女性であった祖母。
気風の良いカッコいい人であった。
彼女から、粋であるとは何なのか、教わったように思う。
粋な祖母は、「誰かの世話になること」「誰かに迷惑をかけること」を嫌っていました。
実際、
「誰か(身近な家族も含む)の世話になるくらいなら、今ここで死んだほうがマシ」
といったようなことは彼女の口癖でもあり、よく言っていたなあ。
いつでもすぐ死ねるように“ゾーリンゲンのナイフ”だってあたしゃ用意してあるんだ!、なんて豪語して、周囲は肝を冷やしたものです。(←私はニヤニヤした。)
そんな、「誰かの世話になること」を最も良しとしていなかった祖母が、アルツハイマーになってしまったのですから、これはまさにカルマ(※1)であるとしか言いようがありません。
なんとまあ、わかりやすい「カルマ」であることか・・・!
私は、祖母の内面に抱えているもの(深くに根差した思考のエネルギー=カルマ)について、嘆きと共に、考えずにはいられない。
この夏、アルツハイマーが発症してから初めて、祖母に会いに行った。
そしてそこに居たのは「幼女」であった。
かつての気丈な賢者の女性ではなく・・・。
同席していた私の母(つまり祖母からしたら娘)は、祖母の状況を嘆いていた。
母と祖母は至近距離に住んでおり、母が祖母の世話を普段しているので、嘆きたくなるのも当然だろう。
孫の私も、尊敬する唯一無二の存在であった(そして恐らくはソウルファミリーでもある)祖母が、いまや完全に少女になって、おどけた表情で、介護用ベッドにちょこんと座り足をぶらぶらさせているその様子を見て、切なさを覚えた。
が、しかし、切なさは私の中に押し寄せてきた感覚の20%であり、
残りの80%の感覚はそれと違っていた。
「ああ、祖母は、役割を終えたのだ・・・」
ただ、それだけを思った。
祖母という魂の存在は、この人生でのすべての予定していた「役割」を終え、いま、「自我システム」を脱ぎ、宇宙の生命エネルギーへと帰還する旅路へ向かい始めたのだ、と理解した。
彼女の中のアイデンティティであった、気丈な部分、洗練された粋な部分だけが、ごっそり抜けて、いま祖母は子供のようなエネルギーでここに存在している。
愛する祖母が、苦しみを作り出す元凶でもある自我(アイデンティティ)を脱いで、大いなる自然へと還っていくプロセスを、祝福したい。
祝福しなければならない。
むしろ祖母は、生命の流れに乗っているわけなので良いとして、そうではなくこの現状を嘆いている母に今度は寄り添いたいなとも私は新たに思った。
・・余談ですがこの流れで「死」について・・・
祖母は自我システムを脱ぎ去っただけなので、しばらく何年も幼女モードを楽しむかもしれず、肉体の死は“彼女の魂”が選択するタイミングがあるはずです。
死のタイミングについては、スティーブジョブズとかマイケルジャクソンとか、ジョンレノンみたいに、「役割を終えたら即、肉体もサヨナラする」というマスター的な魂の存在もまれにいますが、
基本、多くの人々の魂は、『老後』というステージを選ぶ傾向にあるように思えます。
つまり、ボケてゆったり~、という、いわば“全盛期”のあと(=老後)というのが多くの人の人生にはありますね。
役割を終えるイコール死のタイミングとは、必ずしも限りません、ということです。
深いテーマなのでいくらでも書けてしまいそうですが、ブログのくせに長いのはどうかと思うので、そろそろこの話も終わりへ。
この人生での役割を終えた、祖母という魂の存在は、ただ無垢な存在に還っていく、次のステージへ。
しかし、かつての賢者であった祖母が、私たちを育んでくれたその痕跡は受け継がれていく。
なぜならば、祖母がかけてくれた愛を、今は私がみみこやめめに対して注ぎ、同じように育んでいるからです(前回の記事の冒頭より)。
「そこに居ていいんだよ、あんたのお家なんだからね」
「みーちゃんのお家なんだからいいんだよ」
これもまた、カルマなり(※2)。あえて良し悪しでいうと良い感じのカルマだけど。
カルマとは、記憶であり、ずっと、受け継がれてゆくのです。
おしまい。
―フォースと共にあらんことを! AYANA
↑そう、この『スターウォーズ』も、家族のカルマの引継ぎが映画のメインテーマだよね!!!!!!!スカイウォーカー家の。