Blogヒーラー日記

癒やされると命を感じられる

2024.09.27

例えば45分瞑想したとして、最初の30分はずーっと頭の中で思考がおしゃべりしている。

最後の15分くらいでようやく、静寂を感じるといった具合だ。

今日もそんな瞑想を2回した。

2回して、どちらも、そんなものだった。

日常生活はもっとひどいものだ。

瞑想してすごしているわけではないから、このように思考を観察することなく、「行為」に明け暮れて1日が過ぎる。

思考と自分とが癒着している状態で、1日が終了を迎える。

夜も更けてようやくベッドに入り、睡眠中にはじめて脳が休まる、というわけだ。

なので睡眠というのは脳の休息になり、翌日健全に過ごすために必要不可欠な機能なのだが、その睡眠の質は最善と言えるだろうか?

少なくとも、私自身の睡眠の質はおそらくさほど良いとは言えない。

1日じゅう目を酷使しているため、目の疲れがあるので、目と連動している脳はきっと、疲労困憊だと思う。

そこまで「目」とか「頭脳」に頼らないで生きていれば―例えば動物や赤ちゃんのように―睡眠だけでじゅうぶんに脳(&もちろん肉体も)が癒やされて、翌日健やかにまた活動できるのかもしれない。

が、そんなことは通常の人間の大人である私(たち)には非現実的で難しいことなので、積極的に脳を休める「パワーナップ」としての瞑想を、1日の中で挟み込んでやりたい。

愛する自分のために。

モチロン、ここで言う「自分」とは、おなじみの言い方ですが池上綾奈というこの30代女性の個(=自我)のことを指しているのではない。

私たち皆がそうである、神の子として祝福された自分のことを指しています。

癒やされて初めて、宇宙創造主の生命エネルギー(シータヒーリング®的に言うと無条件の愛のエネルギー)の実在を感じることができる。

こうやってまた今夜も、明日も、命が私たちを生きていくんだナァ。

と格好つけるばかりでなく、実際のところ甘いものもエネルギーだ