意識の目覚めを促すスピリチュアル「ヒーリングセッション」。宇宙創造主とつながり本当の自分を思い出す瞑想テクニック「シータヒーリング(R)セミナー」を開講中。オンラインで全国・世界各国から受講可能です。
言葉というのは難しい(限界がある)もので、
伝えたいのはいつも真実「創造主と共にあること」だけなのだけれども
それをクライアントさん、受講生さん個人個人の段階に合わせて、最も伝わりやすい言葉で言うしかない。
ある人には、「夢は叶うよ」というメッセージが適切でも、
ある人には、「夢を捨てなさい」というメッセージが適切であったりする。
なので時に、受け手は混乱するかもしれない。
でもここが真実の面白いところであり、規格外の、素晴らしい、言葉なんかに言い表せないスケールの、多次元なところなのだ。
そんなわけで、私はヒーリングセッションで、昨日の方には
「期待、意味づけ、希望などを全部やめて、創造主である神にお任せしましょう。最高のパートナー(ソウルメイト)なんていません、現れません。」と言ったし、
でもけふのお客様には、
「待っていれば必ず最高のパートナー(ソウルメイト)が現れます。創造主を信じましょう」と言った。
・・・どちらも、真実で
その方々に今ピタリと伝えるべき言葉で翻訳した、精一杯の、最適解のメッセージなのです。
ですのでどうか、
「えー、アヤナさん、どういう意味なのか分からない」
と、あきらめず、深く考えず、そのまま受け取ってください。
一番その人にハマる言い方の言葉で、メッセージがくるので、それで伝えるしかないのです。
でもどんな言い方の言葉でメッセージが来ても、それは、
「山をどのルートで登るか」の「ルートの違い」に過ぎず、
いつも伝えたいことはただ一つの真実「創造主がいるから大丈夫」なんです。
(=どのルートで登山するにしても、結局、目指しているのは山の頂であるとういこと。)
その表し方が、“いまのその人”によって、ハマる表現方法が違う。
たぶん、その人の、カルマの状態とかによって、やるべき方向性が違うからなのだと思います。
これからも、ブログや、瞑想会などの動画や、セミナーや、個人セッションにて、
「自分を大事にしましょう」と言ってみたり、
その一方で
「自分なんか大事にするな、捨ててしまえ」と言ったりすると思いますが(;^_^A、
これは同じことを指しているので、どうかどうか、お付き合いくださいますよう。
「言葉」を言葉として “アタマ(マインド)で処理せず(考えず)”、
「言葉」をエネルギーとして “ハート~丹田まで落とし込んで、全身全霊の感覚として” 感じて味わってみてください。
I love you!
May the “けけけ” be with you♡ AYANA(=^・ω・^=)
前回のブログに載せた、鎌倉のお茶屋さんで食べた冷やし汁粉
すごく美味しかったな。家で作れなさそうなものは外で食べられるとウレシイ。
無農薬の上質な茶葉を練り込んんだ餡の、冷やし汁粉
白みそ仕立て。
白みそを使った和菓子は上品で好きだ。
お正月に食べる、花びら餅もだから好きだし、柏餅も白あんのが一番好み。
子供のころから3姉妹の中で私だけ洋菓子より和菓子が好きで、和菓子屋さんと結婚したかったし、
和菓子好きのモチベーションのため、中学生から茶道を始めた(今はお稽古ストップ中。)。
サロン店舗も畳み、また、オンラインの夏のセミナー開催も落ち着いたので、ふと思い立った。
「いざ、和菓子好きの夢をもっと現実にせん」
来月から、和菓子教室に通う。
楽しみ、楽しみ。
やりたいことを未来に託すのではなく、「いま」やるのがよろしい。
岡本太郎も言っていた・・・
「今ナイものは、この先もナイ」
「いま、が全てだ」
とにかく、けふ死んでも悔いがないように、けふ、いま、この瞬間、全部出し切るんだ。
タローの言うように、「爆発」が肝心だ。
こうも言っている。
「この瞬間に開ききれ!」
それと同じこととして、例えば、
夢が叶うのや、お金や恋人を得ることを未来に託して、“今、「待って」”しまう・・・これは、自分への冒涜だろう。
それは、「不発」だ。
自分が可哀想だ。
“ほんとうにそれでいいのだろうか?”
「待つ」ことを自分にさせてしまってはならない。
神である自分自身に、未来へ「おあずけ」なんてしちゃNGです!
昨日のセッションでもお客様にお伝えして、分かち合ったのが、
「将来、もっと素敵な私になっていくんだ」
というスタンスを、やめてよいのだということ。
「もっと素敵な私になれる」
は、一見向上心があって、社会的で、聞こえが良く、ポジティブで、耳触りの良い言葉だけれど
実はこれは大いなる自己否定なのはお気づきでしょうか?
(私は一日の中ですぐに忘れてしまうので、何度も我に返る・・・)
↓
「今の自分は完全ではありません」
ということなのだから。
これはもう、それはそれは大きな、社会的な刷り込み。
みな、幼少期のころに、すでに「夢や目標を持つことが素晴らしい」と、「ポジティブに」刷り込まれてしまっている。
「ポジティブ」は、私の大嫌いな言葉だ。
ポジティブとか、善意が、だいたい、地獄(苦しみ)への入り口なのだから。【←重要!】
目標とか、なりたい姿の私、なんか持たなくってOK。
そんなものは設定した瞬間に、もれなく「苦しみ」が始まる。ブッダもきっと、そう言っていた。
そうではなく、今、この瞬間、すでに、私たちは「完璧」であるし、そう感じていていいし、それが真実なので、そのように(すでに完璧で完全だと)自分に思ってあげたいものです。
0歳児や、動物や植物は、「自分が不完全だ」なんて思っていないのだから・・・!
May the “けけけ” be with you♡ AYANA(=^・ω・^=)
まーた熱中症になりまして激しい頭痛に嘔吐など、やれやれの一週間でした。(;´д`)トホホ
前回のブログに書きました通り、セミナーの日々が終わり、↑熱中症も回復、平常運転の日々を過ごしています。
気持ちはすでに秋。
ちょっと生活が落ち着いたのもあり、改めて自分を見直し、ブログも書きたいように書いていこうと思っています。
あんまり読み手のことを考えすぎると、作為的になってしまい、エネルギーが抜ける。
エネルギー的でないとなると、それは「ヒーラー」日記という趣旨とは違うので、あくまで自分の書きたいようにということが肝要だ。
あと、“わがまま”ということではなくて、“正しく”「やりたいように」生きる。
ということが大切だともこの一週間落ち着いた中で感じまして、
そうしたらば、そろそろシータヒーリング®の初級クラスである基礎・応用クラスの開催は私ではなく、頼れる生徒さんや仲間にパスしこうと考え至りました。
この夏、シータヒーリング®の中でも、インチュイティブ・アナトミーやワールドリレーションズという、中級以上のクラスを開催して、とてもやりがいに満ち溢れました。
基礎応用セミナーの後からの中級クラス・・・具体的にはディグ・ディーパー以上のセミナーを教えていきたいのが本心だということに気がつきました。
ということで、そのようにこの秋からしていく所存です。
またサイトの方も少しずつ修正してUPしていきます。
***
そしてけふは、そんな、この夏のアナトミーを卒業された受講生さん達と、鎌倉へ遠足に行ってきました。
早朝の北鎌倉です。
源頼朝が鎌倉に入る時、北からのルートは当初ここから入るしかなかったという「亀ヶ谷切通し」を通り抜け、鎌倉駅へ向かうルートです!
鎌倉でお勤めの生徒さんが案内してくれたので、普段自分ではいけないようなマニアックな道をたくさん歩けて楽しかったです。
昼は予約必須の古民家でランチをして、昼下がりも暑すぎるので、上質なteaで涼みました。
・・・
以前、シータヒーリング®の創始者ヴァイアナさんが、我々シータヒーリング®インストラクターに言ってきました。
「インチュイティブ・アナトミーを卒業したような生徒さんは、インストラクターである貴方の、真の友達になる人なのよ。」
と。
それは誠でした。
15日間もコミットメントして、魂で生きるために、たくさんの古いビリーフをクリアにしたような勇敢な人々・・・
まさに、同じくこのこと(スピリチュアルであること)にコミットメントして生きる私を含めた教師達と同じくらい、マニアックな、玄人です。
スピリチュアル用語では、こういう仲間のことを「ソウルファミリー」と呼んだりします。
魂で生きると、魂で生きる仲間が必ず集まります。
そのために必要なのは、「コミットメント」です。
決してエゴと自分を同化させない、しっかりクリアリングして、明瞭に、本当の神である自分を見たい。それだけを生きる。そのためなら、死んだってかまわない。
(※この場合の「死んだって」とは、今まで創り出してきた膨大な思考のドラマ、つまり自分の人生ストーリー(エゴ)の死を指しています。)
だって神を見たいと願うこと、それを生きることだけが本当の「リアル」であるから。
自分の今までの人生なんて全て思考の産物に過ぎず、人工物で、虚構だ。神の眼前では、フェイクでしかなく、愛ではない。
これまで生きてきた何十年のように、もはや、思考のドラマに夢見て、一喜一憂して、生きることとは、訣別するのです。
愛(無条件の愛、神の光)だけを見るのです。それは「すべて」であるから。
私も、この夏、アナトミー、ワールドリレーションズと開催させてもらって、改めてその決意を固めました。
死の決意を。
一度死んでみることだ。
そしてそれを私もやらん、とする生徒さんたちがいてくれること。
セミナーの中の立場が生徒さんなだけで、魂は、全くの同志だ。完全な対等。仲間がいなくては、神の道を進んでいく事はできない。
一人で悟り続けること・・・一人でスピリチュアルでいつづけることは、無理なのです。
だから大昔から、精神世界では、グルとか、マスター、師匠と呼ばれる存在があった。
かけがえのない夏になりました。
でもこれを夏の思い出にしてしまっては、単なる「記憶」となり、
思い出・記憶、の時点で「過去」なので、もう「時間」の概念が生じてしまっている。「時間」とは、つまり「エゴ」です。
ですから、このことを全く持って新しい「いま」、「実践」し続けていきます。
『「思考を見抜き、神の光を見たい」と祈り、本当の命を生きていくこと。』
May the “けけけ” be with you♡ AYANA(=^・ω・^=)